
まずは大連のシャンゼリゼ通り?!中山広場へ!大連市の中央にパリ市街を手本として作られた広場「中山広場」です。
この広場を中心として、街中に道路が放射状に伸びています。正面に見えるのは旧横浜正金銀行大連支店。日本人が設計し、1909年に完成しました。
深緑のバロックドームと壁の白のコントラストが厳粛な雰囲気で、典型的な折衷建築といわれているそう。現在でも中国銀行大連市分行として使用されているんですよ!
現在では近未来的な高層ビルの中に、ノスタルジーなロマンを感じる建物群を同時に楽しめる場所として人気スポットとなっています。地元の若いカップルなどもちらほらと見かけました。今度は素敵な男性と歩いてみたいな~。
さあ、ここから大連の街へ出発です!





大連市民の交通の要、路面電車約5分後ごとに停留所に電車がやってきます。
日本製の深緑色の電車は現在でも現役で走っています。現在も路線は拡大され、様々な場所へと移動することが出来ます。満鉄本社前やロシア人街の前なども通るんですよ!なんと乗車料金は1元! 電車は道路の中央を走っており、電車が来た場合はそこまで移動が必要なので、車などには十分注意してくださいね!
路面電車を使いこなして、大連のレトロ旅を楽しみましょう!





ロシア人の息遣いを感じることの出来る旧ロシア人街1899年、ロシアが大連の都市化を目的に行政市街として手始めに建築されたのがこの
旧ロシア人街です。中国でありながら異国情緒溢れる不思議な場所です。
旧ロシア人街の入り口に、どこかで見たことのあるような建物がありました、この建物は「旧東清鉄道汽船会社」といい、福岡北九州市の門司港にある「国際友好記念図書館」はこのレプリカなのです。
実は大連は北九州市と友好都市締結をしていて、15周年を記念して1994年にレプリカを製作したそうです。なるほど、大連は日本にも馴染み深いんですね~。
周辺には露店がたくさん出ていて、お土産選びにも困りません。ロシアといえばのマトリョーシカもところ狭しと露店に並んでます。もちろん露店は、値段の交渉もOK。地元の人とのやりとりも旅のいい思い出です!





日露戦争の舞台となった旅順へ 203高地203高地は日露戦争の舞台となった場所です。
名前の由来は海抜が203メートルあるためで、日本とロシアの激戦で海抜が200メートルから3メートル下がり、203メートルとなったエピソードがあります。
頂上まで1.2キロの登山を行うため、今回は203高地を運行している観光バスを利用しました。(料金:100元)頂上には砲弾の形をした慰霊碑に、「貴方の霊をおさめます」という言葉が中国語で刻まれています。
ここ、203高地では日本軍が1万人以上が戦死したため、その霊を慰めるために建てられたのです。この慰霊碑のそばには展望台があって、ここからは旅順の街、そして奥には旅順港を見渡すことができます。ロシア海軍が拠点としていた旅順港を占領するために、激戦が繰り広げられました。
両軍多数の戦死者を出した203高地、日露戦争の重みを知るためにも一度訪れてみてはいかがでしょうか?





日露戦争激戦区の一つ 東鶏冠山日露戦争で日本とロシアはアジア攻略の要となる旅順港の支配権を奪い合い、1904年にここ、東鶏冠山でとても激しい戦いを繰り広げました。
日露戦争の歴史的な写真、旅順港を中心としたジオラマ、そして東鶏冠山の戦いでキーとなる「28センチ榴弾砲」の現物が飾られている「日露戦争陳列館」を見学後、実際にロシア軍が使用していた塹壕を見て行きます。すごく広い塹壕で、旅順の市民を拉致した場所や、ロシア軍の生活地区、ロシア軍の兵士宿舎などを見ることができます。違うルートで山を下っていくと、日本の銃弾の跡が隙間も無いほど残っている場所あり、銃撃戦の激しさを物語っています。ここ、東鶏冠山は日本人が忘れかけている戦争の歴史を痛いほど知ることができる場所です。



